吉行淳之介編「酒中日記」にみる懐かしき文豪たちの日々

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吉行淳之介編「酒中日記」には、文豪の酒道の数々が述べられていて興味津々である。初版が1988年、講談社からの発行ということだから、かなりの古豪たちの肉声にも接することが出来る。それがとても稀有な同書の持ち味となっている。ちなみに再録再編集された文庫本が中央公論新社より出版されているのである。

編者、吉行淳之介の前書きにてこの随筆集は始まっている。「某月某日」の日記というスタイルにて、各執筆者たちの酒にまつわるあれこれが展開されていく訳である。読み進めでいて心地よいのは、古豪とも称される筆者の筆致のそれぞれが、決して武勇伝に陥ることがないということである。これはまさに新発見である。文豪、古豪と云えば、おいらにとっても雲の上的存在ではあるが、彼らの多くが「酒」に対して成功談よりも失敗談に終始していたということは、文豪たちの日常を表すある種のシンボルとして注目に値するだろう。

リレー式にバトンタッチされていく同書の編集は軽んじて、おいらは好きだった作家、懐かしさの濃い作家の順にページをめくって行くことにした。吉行さんから始まって、北守夫、そして以下飛び飛びに、五木寛之、笹沢佐保、野坂昭如、渡辺淳一、筒井康隆と読み進んで、生島治郎に戻って、一呼吸置いていたところである。

生島治郎さんと云えば、「片翼だけの天使」という名作で、トルコ嬢(今はこれ、禁句だっけ?)との一途な純愛を描いた先生である。この偉い先生をスルーしてしまったことを反省。改心しつつ文章を追っていると、直木賞受賞前後の記念碑的日々のあれやこれやが、酒中日記ならぬ酒中御見舞いのごとくに丁寧な筆致で記されているではないか! 昭和42年秋の生島先生の晴れの日を思いつつ、改めて心からの乾杯をしたところなのでありました。

司修が描いた、朔太郎の「郷土望景詩」幻想

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先日、群馬県前橋に帰郷した際、故郷の書店にて司修という版画家の著した「萩原朔太郎『郷土望景詩』幻想」を購入した。

萩原朔太郎が郷土を謳った詩に、インスピレーションを得た画家の司修が作画化したものとなっている。詩集に添えられた単なる挿絵集ではなく、もっと濃密な司修的世界が、そこには表出されていて、読む者たちを独特な郷愁の世界へと誘って行く。

最も虜とされ、何度もページをめくってしまうのが、朔太郎の「中学の校庭」という詩と司修の画とがコラボレートしたページである。

 中学の校庭 (萩原朔太郎)
  われの中学にありたる日は
  艶めく情熱になやみたり
  いかりて書物をなげすて
  ひとり校庭の草に寝ころび居しが
  なにものの哀愁ぞ
  はるかに青きを飛びさり
  天日直射して熱く帽子に照りぬ。

旧制中学の校舎とその横に不安定に佇む青年。シルエットとして表出された青年は、まだ幼くも見えてしまうが、左ページの建物は校舎という存在そのものを遥かに越えて佇む、青春期の迷宮的世界。永井苛風的表現を借りれば、精神的ラビランスである。そんなラビランスの世界に舞い戻って、過去の時間を歩いてみたい欲望に駆られてしまうのである。

この1冊に出遭ったことから、おいらの見る夢の世界も少々様変わりしてきたことを感じている。朝目覚めたときに記憶している情景は、郷土のこうした校舎をモチーフとしたラビランスではなかったかと、確信を強くしているのである。

岩手県軽米産の「韃靼蕎麦」を食す

昨日の筑前煮風根菜煮込みに、なめこなどの茸類、葱、ホウレン草を加えて蕎麦にして食べました。根菜の甘みを含んでまろやかな汁が、なんとも豊潤な味わいなり。

この蕎麦はただの蕎麦ではなく、知る人ぞ知る「韃靼蕎麦」なのです。ロシアの韃靼人という小部族が好んで食べていたことからこの名が付いたとされるが、普通の蕎麦に比べて「ルチン」という成分が百倍以上含まれている。ルチンは血管の弾力性を高め、血液の循環を良くする働きがあり、血管障害の病防止に役立つとされる健康成分である。蕎麦好きに健康者が多いという根拠の一つともなっているものだ。これが通常の百倍というのだから、食べないわけにはいかないのです。

岩手県軽米町は、日本には数少ないこの韃靼蕎麦の産地でもあります。以前は通信販売で取り寄せては時々食べていたものだが、近頃は「いわて銀座プラザ」というアンテナショップにこれが置いてあることを知り、食する機会も増えてきてて居る。お勧めの逸品であります。

冬のマクロビオティック風根菜料理

季節の料理はその季節にとれた食材で調理すべし、というのが確か、マクロビオティックの基本(掟)であったものと記憶している。今宵はそんな基本を噛み締めつつ、マクロビオティック風(この風が大切)の料理にチャレンジしたのでありました。

地元のスーパーマーケットにて、人参、牛蒡、大根、といった冬の根菜類と、蒟蒻(これはもちろん群馬県生産のもの)などを買い込んできて、それら根菜類に加えて鶏肉(これも何故だか群馬県製だった)をぐつぐつ煮ること15分以上は経ったであろうか? 醤油、味醂、そして砂糖と、甘辛く煮込まれた根菜煮込み料理は定番の筑前煮にも似ていて、それだけでご馳走でありました。

明日は筑前煮風料理の残りを使って、もう少しゴージャスなレシピをご紹介したいと思うのでご期待ください。

大好きなやんちゃ横綱、朝青龍が引退

おいらにとっては些か衝撃的ニュースが飛び込んできた。朝青龍が引退したというニュースである。かつて大好きだった玉の海と同じくらいに、おいらは朝青龍が好きである。その朝青龍が本日、引退を表明した。何かとお騒がしい騒動に巻き込まれてはいたといえ、まさかの展開である。

玉の海と同様に朝青龍は小兵である。体格的な優位性で横綱を張っていた相撲取りではない。小兵力士が何故あれだけバネの利いた力感的な相撲を取れるのかが、否取れたのかが、未だ疑問の一つである。

弱冠29歳の朝青龍。これからどう生きるのか? 温かく見守っていきたいなどと、柄にも無く大人じみて感じ入っていたのである。

みずほ銀行が井上真央をCMに起用した理由

真央ちゃんといっても浅田真央ではなくて井上真央である。井上真央といえば、映画やTVドラマに引っ張りだこの当代きっての人気アイドルである。可愛らしいのはもちろんだが、同じ人気アイドルの新垣結衣、戸田恵梨香たちと比較して、凛とした気品がある。愛くるしいだけのおバカタレントたちとは一線を画していると云ってよい。

 

かつておいらは、カード評論家として数多のアイドル・テレカを評価鑑定していたことがあった。


「必勝アイドル・テレカ虎の巻」

それらは「必勝アイドル・テレカ虎の巻」(JICC出版局発行)の1冊にまとめたのだが、今の時代がもし、テレカ全盛の時代であったならば、井上真央のテレカは間違いなく、超の字の付く程のプレミアム的価値を生んでいたはずである。たんに人気の高いということにプラスするαが、井上真央の何処かに潜んでいるのである。企業CM関係者にとっては、もっともスカウトのし甲斐のあるアイドルであったのだ。

今回彼女が起用されることになったのが、みずほ銀行のカードローンCMである。「カードローン」などと小奇麗な呼び名で繕われているが、何てことはない。所詮は消費者ローン、即ちサラ金のCMである。当代きっての人気アイドルをCMに起用することができて、みずほ関係者はさぞホクホク顔を隠せきれない事だろう。

そう古くはない昔には、一流人気タレントといえば、出演するCMのジャンルや内容を取捨選択していたものであるが、今や何でもござれである。吾が国は今ここに来て、ある種のルビコンの川を渡ってしまったのではないのか? という疑念が生じる。行き着く先はといえば、アメリカナイズされた殺伐として味気ない渇きの風景か…。いやいやそんなことはあってはならないのである。

「BRUTUS」の吉本隆明特集は晩年の起死回生のヒットかもしれない

雑誌「BRUTUS」の最新号では吉本隆明特集をやっている。

http://magazineworld.jp/brutus/679/

おいらの中学・高校の先輩でもある糸井重里さんがコーディネイトをしているということから大変期待をもって読み進めていたのであるが、何なんだ、この意想外な感覚は? まるで吉本さんらしくない「ことば」がいろいろ引用されていて、呆気にとられてしまった。まるでゆるいコメントである。ぬるいと云っても良いくらいである。

現代のコギャル(古いか?)ことAKB48の人生相談など、吉本さんの仕事とはとても云えない筈なのになあ。だが少しずつページをめくっていくうちに、糸井さんはじめ特集の作り手たちの云わんとすることはだいぶ理解できていた。こうした日常の言葉遣いのコミュニケーションを大切にして、吉本さんの巨大な思想は成立したんだなあということも、納得できたのである。

吾が国の思想界の巨人と称されて久しい吉本さんだが、少し前には小沢一郎賛美などとも捉えかねない変てこりんな色が付いちゃって残念だったのですが、好々爺吉本先生の姿としては、とても微笑ましいものがあるなと感じたのでした。

銀座の「ブランド」考現学或は鳩山内閣の使命

東京の下町をこよなく愛した作家、永井荷風さんは、名作「墨(変換不能文字)東綺譚」の随筆的後記「作後贅言」のなかで、銀座にふれて次のように記している。

「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く関西もしくは九州から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処に海豚汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも怪しむには当らない」

この文章を、「関西」を「欧州」、「九州」を「亜細亜」、「海豚汁や関西料理」を「イタリアンもしくはエスニック」、「屋台店」を「立呑み店」に置き換えてみるならば、まさしくそのまま、現在の銀座を云い当てていると述べても過言ではない。つまりは、現代銀座を荷風さんの先見の明を借りた表現にて述べるとするならば、以下のような表現が成り立つ。

「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く欧州もしくは亜細亜から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処にイタリアンもしくはエスニックの看板がかけられ、横町の角々に立呑店の多くなったのも怪しむには当らない」

さらに述べるならば、銀座の表通りには「エルメス」「ルイヴィトン」をはじめとして高級ブランドのショップが軒を連ねている。「エルメス」「ルイヴィトン」は誰もが知るが、そう有名でもない二流、三流のブランドショップの名を知っていないと、銀座界隈における会話でつま弾きにされてしまうのである。おいらもそうしたつま弾き的痛恨の目にはしばしば遭遇しているのだが、かといって二流三流のブランドの名など覚えようという気はさらさら持ち合わせては居ないのである。そもそもは「ブランド」といった概念の生成過程における矛盾は、銀座のみならず日本国全般に覆い尽くされていると云って良いだろう。

先日は鳩山首相も引用した、インドのガンジー元首相の言葉「七つの大罪」を正しく理解するならば、「富みなき労働」を作り出しているものこそ「ブランド」にほかならない。悪しきブランドの弊害は、日本国全般を蔓延しつつあるくらいに重大な問題である。銀座がこれからブランド化していくことは、即ち日本国が虚業化、空洞化していくことに繋がっていく。この一連の動きこそ、止めていかなくてはならない鳩山内閣の使命なのである。

姿を隠した銀座三越ライオンの行方とは?

銀座四丁目の三越では最近になって突如改装工事を始めた。あの猛々しいライオン像が見られなくなって、何やらいぶかしい匂いを感じ取っていたのであるが、このライオン像がいつの間にやら他の場所へと移動させられたというニュースを目にした。

新しい移転先は、墨田区内の三囲(みめぐり)神社だという。だが、ネット上でいろいろ検索していくと、このライオン像は、閉店した三越池袋店にあったものらしいのだ。簡単には移動させることもできないであろう、重々しい青銅製のライオン像というのも一致している。もっとよく調べてみれば、もともとライオン像は日本橋本店に周囲を睥睨するかのようにあったというが、いつの間にか銀座店、池袋店などに模造品が建てられたというのだ。

我が世の春を謳歌していた時代のライオン像は、とても厳かに映っていたが、今になってみれば、幾つもの模造品の引き取り場所にその身を隠すように居るのだろうか。いずれにせよ銀座三越のライオン像は、この場所から離れることなく生涯を全うしてほしいと願いのである。