「どじょう鍋」のどじょう臭さに頗る満足なのだった

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久しぶりに散策した下町の居酒屋で「どじょう鍋」を発見。一時期は居酒屋メニューに無かった「どじょう鍋」の味覚にありついたのだった。丸い専用のどじょう鍋には野趣溢れるどじょうの身が牛蒡や葱の隙間にびっしりとして在り、卵とじ的に調理されたどじょう鍋を突けば、そこにはどじょうの大群が居た。泥臭くどじょう臭いくらいの香りのその身は、骨までどじょうらしくて頗る食欲を唆っており、天然のカルシウムを口にするなりどじょう料理の美味さが身に沁みたのである。充分に旨みとマイルドさとに加えて及びの+アルファーは、エグミであった。こんなエグミこそは生命を生きさせる。生き生きとさせていくための必須の要素なのである。エグイ=生きるという方程式を忘れてはいけないのである。

そもそも数年前を振り返ってみれば、自らを「どじょう」になぞらえて首相の座を射止めた野田佳彦という政治家は、実はただの無能のぼんくら。我が国戦後史上最低の首相であったといってよい。自民党政権か長く続いた戦後政治史上を眺めても、こんなぼんくら総理は他に、例示することができないくらいだった。念のために記しておくが、おいらはどじょう総理が誕生するずっと前からどじょうが大好きであった。おいらこそは野田総理にも引けをとらぬくらいなどじょう大好き人間なのである。