我が家のチューリップが漸く花を咲かせた

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例年に比べて発育が遅いのではないか危惧していた我が家のチューリップが、漸く花を咲かせたのだった。4月11日という日は、過去の記録と照らし合わせてみれば、別段に遅いということでもなかった。危惧が杞憂に終わったということで、一安心なのであった。

今年のチューリップは、完全なる放任的な条件で育っていたのであり、芽を出したときからにして例年以上に期待を膨らませてしまっていた。放任チューリップの花が果たして咲いてくれるのかも判らぬままに、毎日の観察を続けていたところ、遅いと思われていたその芽は何時しか蕾をつけ、そうして期待通りの花を咲かせていた。

まだまだ開花を待つチューリップは我が家の庭を席巻しているのであり、これからの成長が益々に愉しみなのである。

タイ国の「イエローカレー」は日本人の舌に合う味わいなので、おすすめ

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タイ料理専門店でタイ国の「イエローカレー」を食した。文字通りに黄色い色をしているのだが、インドカレーや我が国のカレーとは異質なカレーだ。最近よく見るタイのグリーンカレーとも異質である。ココナッツミルクに加えてより濃厚なココナッツクリームを使用するためだろう、辛味や刺激を抑えたまろやかな味わいにほっとする。

前菜として出されていた野菜サラダが、非常に刺激的な辛味であった、その後に口にしたためか、とてもマイルドなカレーの味を堪能することができたのだった。

タイ国料理の「イエローカレー」についての基本的なレシピは、鶏肉を基本にして筍、玉葱等の野菜を素材にし、素材はターメリック他の香辛料が用いられる。唐辛子の使用はわずかであるが、辛味は他の香辛料によって充分に味付けされている。

旬の国産筍(竹の子・たけのこ)を使った「筍御飯」に舌鼓

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筍が美味しい季節が到来して以来、なにかと筍が気になる昨今である。春の季語ともなっており、この季節に筍を食べていないととても春を損した気分におちいってしまうものだ。

ところで筍といえば、竹冠に「旬」の字がそのまま、竹の旬のときを表している。筍として食することができるものは、数日の間に限られており、その数日を逃して伸びてしまったものは筍とは云えない。地下茎としての野性味を備えつつ、生命の芽生えの生き生きとした瑞々しさが味わえる旬の季節の筍は、まさに春食材の代表選手である。

先日は筍の炭火焼を味わっていたが、なかなかその後に筍料理にありつけることがなく、結局のところは家で「筍御飯」にして味わうことにしたのだ。生の筍を茹でるのはなかなか大変なものがあり、ここは国産筍を下茹でしたものを用いることにした。スーパーにて「水煮」として出回っているもののほとんどが中国産であることが、筍料理づくりに二の足を踏んでいたところに、国産のそんな食材を目にしたとき、ためらうことなく購入をしていたのだった。

御飯炊き用の土鍋に、下茹でされた筍、切り刻んだ人参、葱、等の食材をセットして、鰹出汁で炊き上げたところ、筍のサクサクとして瑞々しい食感が嬉しい筍御飯という料理が出来上がっていた。思うに、久々に美味い炊き込み御飯にありつくことができたのだった。

ある日「PRONTO」で食べた「鉄板ナポリタン」の味わい

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スパゲティー等メニューやカフェを提供するチェーン店舗の「PRONTO」に久しぶりに足を運んだところ、お勧めメニューに「ナポリタン」があったのであり、流れで注文していたのだった。

出てきたその「ナポリタン」は、熱々の鉄板の上に乗って来た。太くて油もギトギトしているという昔ながらのスパゲティーの麺に、玉ねぎ、ピーマン、ベーコンといった食材を、トマトと云うよりもトマトケチャップ味に近い味付けで調理して提供されるメニューである。パスタ麺の下には、薄焼き玉子焼きが陣取っているのが、PRONTO流と云えるのかもしれない。

イタリアンのなかで最も大衆的なメニューが「ナポリタン」であり、そもそもイタリアのパスタ料理にこのメニューはないのであるからして、国産大衆的イタリアンメニューと称することも可能であろう。昔は当然のように食べていた定番的スパゲティー料理の、現代的バリエーションのメニューなのだと合点したのである。

通常よりも太目のパスタ麺に、ギトギトの油が乗った「ナポリタン」というメニューの味わいには、過去を懐かしめる以上に、食べ応えかつコクのある麺料理としての一面があると感じさせていた。使用されている油脂類はバターをはじめとした素材が用いられていたのであり、たんなる大衆料理の復活的メニューだというばかりでは無かったということが読み取れたのであった。

 

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました。

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http://www.midori-kikaku.com/gallery/

内容については、おいらのこの1~2年の間に描いたタブローを追加し、ページデザインは、ギャラリーページに相応しいものに変更しました。

 

ところで本日昼間はと云えば、先日当ブログでも紹介した阿山さんの個展に足を運んでいたのだった。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7577

 

先日に訪れたときとは一転して綺麗にレイアウトされたギャラリーの作品の一つ一つに、更なるインパクトを受けていたのであり、おいらも今更ながら制作への意欲を沸き立てていたというのであり、近作を整理しつつ、ギャラリーにアップすることを思い至ったという訳である。

70年の封印を解いて刊行された「ルパン、最後の恋」は、シリーズ最後の遺作に相応しい面白さ

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作家モーリス・ルブランが没後70年となる昨年に出版された、ルパン・シリーズ最後の作品である。我が国でも昨年9月に翻訳出版され、ルパン・マニアの関心を集めている。ブランが同作品執筆の後、病に倒れたこと等から、作家の息子の意向により長らく封印されてきたといういわくつきの1作であり、それが孫娘による原稿発見による刊行に至ったという。ある種、未完の要素もあるが、マニアにとってのみならず推理もの愛好家にとっての必読の書である。内容的にみても、まさにルパン・シリーズ最後の作品に相応しいと云えるのだ。

設定は、現役引退、隠居したルパンが身分を隠して、最後の冒険に繰り出していくものとなっており、晩年を彩る美女との恋のやりとりもあり、推理ものとは異なるテーマで楽しませてくれる。怪盗紳士ことルパンの晩年の姿が垣間見え、彼の人生観、世界観が吐露されるくだりがある。例えば敵の一人に対峙したとき、ルパンとの間に以下の台詞が交わされている。

―――――(以下引用)
「四つの障害に直面したが、そのうち三つは片付けた」
「四つ目は?」
「あんたさ」
「お気の毒さまだな。苦労するぞ」
「わかってるとも。おれはシャーロック・ホームズと組んだこともある。ホームズがこう言っていたよ。《アルセーヌ・ルパンとやり合う羽目になったら、勝負はあきらめろ。初めから負けは決まっている》ってな」
―――――(引用終了)

コナン・ドイルによって生まれたシャーロック・ホームズの名が唐突に出てきたのに驚いたが、名探偵ホームズ以上の天才がルパンだと、世界中の探偵小説愛好家たちに宣言したという訳である。シャーロックのファンにとっては怒り狂うやも知れぬ台詞を、いとも簡単に述べさせてしまうドイルの自由闊達さが、出版業界のタブーに抵触しているともとれるのであり、長らく「封印」されてきた原因の一つなのではないかとも思えるのだ。

小鯵の刺激が嬉しい「鯵の南蛮漬け」

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小鯵と呼ばれる子供の鯵を丁寧に下ごしらえし、油で揚げた後に、酢・醤油・砂糖・唐辛子、玉ねぎ、人参、等々の漬け汁に漬け込んで、「鯵の南蛮漬け」は調理される。それだけ手間と時間をかけており、刺激的な酢鯵の味はか格別な思いがする。

春爛漫の味いを醸すような「茗荷の梅酢」

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茗荷(みょうが)が美味しい季節がち近づいてきた。日本以外の他国にてはほとんど食されることの無いという食材である。春の息吹とともに芽を出し、香り豊かな茗荷の花弁を開いていく。

そんな茗荷に梅酢を漬け込んだという「茗荷の梅酢」にありついたのである。

よくある甘酢漬けとは違って、素材の野性味が絶えることなく伝わってくる味わいだ。例えばらっきょうの「甘酢漬け」と「塩漬け」との違いにも似ている。甘酢漬けのほうは口にはやさしいが、決して味わいが豊富な訳ではなく、却って単調な味覚を押し付けているのだが、塩ラッキョウのほうはといえば、単調な味わいを打ち破り、そもそもの素材のワイルドな味わいを活かしているのだ。

結局のところ、茗荷は生で食するのが美味しいのだが、梅酢という漬汁で漬け込んだ「茗荷の梅酢」もまた茗荷料理のレシピ的逸品のひとつとして記しておきたいと考えていたのである。「茗荷の梅酢」は悪くない。しかも逸品の味わいである。

久しぶりに食した「マグロの漬け丼」は美味だった

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マグロ料理の定番メニューには「マグロの漬け丼」というものが存在するのであり、決して一時の人気、ブームに拘泥することなく、定番メニューとしての存在感を長年にわたって維持しているのである。

その「マグロの漬け丼」のレシピといえば、マグロの刺身を醤油漬けにして、酢飯を盛った丼にかけるという、とてもシンプルなものとなっている。シンプルなメニューの味わいを左右するのはもちろんのこと、その素材の善し悪しであり、新鮮なマグロの切り身を漬け込んだ「マグロの漬け丼」には、とても舌をうならせるものがある。

「マグロの漬け丼」に合うマグロの切り身は、大トロとか中トロとかいう部位である必要は無くて、赤身がしっくりするのであり、しかも、マグロの筋が見えていたりする切り身にも、「マグロの漬け丼」はしっくりとくるのである。先日口にした「マグロの漬け丼」とはまさに「マグロの漬け丼」としての代表的な姿かたちを保っており、充分に美味みをあじわうことができたのだった。

大豆がダブっている「納豆豆腐」を試食したところ…

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某居酒屋にて「納豆豆腐」なるメニューを目にした。豆腐に納豆が乗っているのだな、ということは容易に予想が付くメニューであった。が然し、豆腐と納豆といえばどちらも「大豆」が原材料となる食材なのであり、ダブってしまっているのは明白である。漫画「孤独のグルメ」風につぶやくならば、「豆腐と納豆で、大豆がダブってしまった」という台詞となるのだろう。

本日は多少ためらいながらも、兎に角「試食的」に、当メニューを味わってみたのだった。そして、出てきた料理は想像したとおりのものたった。

味は決して悪くは無かった。大豆と大豆の競演でも、これだけ味のバリエーションが豊かなのだから、想像以上の出来栄えであると云うべきかもしれない。かといって自分でこの料理をつくりたいとも思わない。これはまさしくかなりの決定的な矛盾を孕んだ料理だということになる。

木材にパワフルな作品を描く、阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」がギャラリー木馬で明日スタートします

木材にパワフルな作品を描く、阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」がギャラリー木馬で明日スタートします。

大胆にカットされた天然の木材をキャンバスがわりにして、さまざまな生き物をモチーフにしてパワフルなタブロー(絵画)が描かれている。阿山隆之さんの大胆で力強い線で描かれた水牛の作品は、かつて八王子夢美術館で行われた「市民公募 夢美エンナーレ入選作品展」にて出展されていて、おいらはその作品世界に接し強く圧倒されていたのであった。

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そんな、阿山さんの個展が、明日こと4月2日(火)から12日(金)まで「木馬工房 ギャラリー木馬」で開催される。阿山さんは、木馬工房に通所している自閉症の人で、絵もまたパワフルで面白い絵を書いている。先日は同工房の人から、阿山隆之さんの個展の案内があり、明日の個展オープンには少々早いがお邪魔してきたのでした。

以前目にした水牛の作品以外に、魚類をモチーフにして天然色の色彩で描かれた作品等々の多彩な作品群がそう広くないギャラリーに配置されていた。展示作業の途中であったというとても大切な時間ににお邪魔してしまったが、忙しい中でギャラリーの中にも案内してもらっていたのであり、大変に恐縮しつつ、明日からの個展にわくわくの思いを強くしていた。週末の休日にはまた訪れてみたいと思っている次第である。

ギャラリーを運営する木馬工房は、八王子市役所隣にある身障者の就労支援継続B型の事業所だという。同工房では、木工・印刷・ガラスなど障害がある方が通い仕事をしている。また、アート活動の一貫で、昨年建替に伴い、昨年11月にはギャラリーをオープンしたそうである。阿山さんの描き出す作品が同工房にて制作されていることも、同工房の関係者たちのサポートがあってのことなのだろう。ぜひとも足を運びたい、運んでもらいたい展示会である。

■阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」
4月2日(火)~12日(金)
10時~17時(最終日16時まで)

■木馬工房 ギャラリー木馬
東京都八王子市元本郷町3-17-13
(八王子市役所すぐそば)
TEL 042-624-3340

花散らしの雨にはならなかった本日の桜事情についての考察

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本日もまた雨模様の日であり、桜が散るのではないか、花散らしの雨になるのではないかと、ニースサイト等では話題で盛り上がっていたようではある。おいらは上州群馬への帰省の1日ではあったのだが、鉄道列車の車窓から眺める光景に、とくに桜咲く関東平野の桜の開花事情については、とても注目していたのである。本庄駅近くの公園の桜はまさに満開の様相を呈していたのであり、そんな光景を車窓から見ることが出来たことは至極ラッキーであった。

雨模様も小雨になり、花散らしの雨にはならなかった本日の桜事情ではあった。願わくば明日くらいには、圧巻の花吹雪を見たいと思うのではある。

新玉ねぎを丸ごと焼いたこの時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」

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春先のこの時季に収穫される玉ねぎは、通常のものと比べて皮が柔らかく黄色っぽくしかも大降りであり、何時からか「新玉ねぎ」と呼ばれるようになっていた。水分が豊富で柔らかく甘みが強いのが特徴とされている。生でスライスすれば柔らかな甘味が香る玉ねぎサラダとしての逸品となる。この季節だからこそ味わえる食材である。

この新玉ねぎを丸ごと一つを丸焼きにして出された「玉ねぎ丸ごと焼き」という珍しいメニューに遭遇した。そして出されてきた料理は予想した通りの、そのままずばりの代物だった。玉ねぎを皮ごと丸焼きにして、焦げた皮を除いたものを四等分し、鰹節をまぶしていた。

少々の醤油を垂らして口にすれば、水分をたっぷり含んで甘味も増した玉ねぎの香りとともに、春の香りとでも呼ぶべき香りが口腔内に充溢したのだった。この時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」なのであった。

久々の「担々刀削麺」で汗だくだくの美味しさだった

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暑い日であった。猛暑と云うにはまだ遠いが、街を歩くだけで汗が滲み出てきた。昼時になり街を歩いていると「担々刀削麺」の看板が目に飛び込んでいて、それにつられるように担々刀削麺の辛いスープをすすっていたのである。食欲が減退する1日だったが、胃腸の疲労に抗うかのようにその麺類に引き込まれていたのであった。特に「パクチー」と云うタイ料理に用いられる香菜の独特な一涼の爽やかな刺激が胃袋に流れ込むとき、日常の活力が取り戻されたようであった。

中華の麺料理には様々なバリエーションがあり、「刀削麺」もその一つである。小麦粉をよくこねた生地に、曲がった刀を用いて麺を作っていく。「刀削麺」を提供する中華料理店ではよくその麺作りの現場をパフォーマンス的に公開している。大きな鍋に向かって、削った麺をほうる様に投げ込んでいく独特の仕様により作られていく。今回食した店でも同様のパフォーマンスに接していたのだ。

山西省が発祥だとされるこの刀削麺の味付けは、マーラー味、坦々味、そして激辛味といったように、辛味のスープで提供されている。大味の麺には辛味の強いスープの味付けが似合うということなのだろう。

■刀削麺荘 唐家 秋葉原店
東京都千代田区外神田3-8-17 渡辺ビル

高円寺の居酒屋「四文屋」の、琥珀色した梅割りの「金宮焼酎」

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高円寺の居酒屋「四文屋」ではホッビーが提供されていないので、仕方なくおいらは、酎杯やらを頼んでちびちびとやっていたのである。そして少し経って後に、「金宮焼酎」と云うメニューに気付いて其れを注文してみた。すると店員はと云えば、それとわかる「金宮焼酎」の瓶と共に、「梅割り」の入った瓶を持っておいらの前に突入する如くに出現して、一合カップに金宮焼酎を注ぎ、そして「梅割りはどのくらいにしますか?」と質問したのだった。咄嗟の質問、問いかけにはおいらは「普通で…」と答えていたが、結構どぼどぼと店員は梅割りのエキスとやらを注いでいたようではあったのだ。見れば梅のエキスが金宮焼酎に混ぜあわっていく様が琥珀色の姿にて目を奪っていた。

そしておいらは其の後は静かに、注がれた「金宮焼酎」のグラスに口を近付け味わっていた。久しぶりに口にする高濃度、高アルコール度の金宮焼酎であったが、梅のエキスはそんな刺激を緩和してくれていた。金宮焼酎の味わい方としては此れもまたありであるなと合点していたのであった。

「バカガイ」こと別名「アオヤギ(青柳)」の刺身を食した

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久しぶりに「バカガイ」別名「アオヤギ(青柳)」の刺身を食したのだが、これがツルリとした食感で愉しませてくれたのだった。たしか我が国でも平安時代の頃から食用に供されていたというものであり、江戸時代に入ればポピュラーな寿司ねたとして流通されていたとされる。名前以上に珍重されるべきねたであることは間違いない。
中身は綺麗なオレンジ色の色味で魅了させてくれる、別名「バカ貝」との異名をとるのが「青柳(あおやぎ)」である。食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせているかのごとくである。其の身の視覚的印象は、べろっとだらしないように舌を出したかの如くでもあり、そんな風体から「バカ貝」との嬉しからざる命名をされたと云う説がある。或は「馬鹿に捕れる」と云った、とても捕れて嬉しいのだと云う、本来は賛嘆すべき形容がその謂れであると云った説も根強く流布しているのだ。どちらの説が正統であるか? といった試みには、残念ながら手立てを失っているのであるが、それにしても、「青柳(別名「バカ貝」)」のしっとりとした食感にはいつに無く舌鼓であったのである。

川上弘美さんの「なめらかで熱くて甘苦しくて」は、萬鉄五郎氏とのコラボ的傑作だ

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川上弘美さんの新著「なめらかで熱くて甘苦しくて」を読了した。3月25日初版発行の、5編の短編から成る連作集とでも云うべき体裁の著書であり、あまり話題になったという噂は聞かないが、おいらにとっては実に久々に魂を真底から震わされたという、感動の作品集であった。

書店にて初めて同著を目にしたとき、先ずは萬鉄五郎氏による「かなきり声の風景」という表紙の絵に魅了されていたのである。モチーフはたぶん里山から少し平地に入った場所の畑の風景であろう。深緑に黄土色に、ひと際鮮やかな紅色の、荒々しいタッチの筆にて描かれているその作品世界には、かつて無いくらいの衝撃を受けていた。

萬鉄五郎氏と云えば昭和の初期に活躍した前衛的洋画家として著名であり、かつてはおいらも相当の影響を受けた巨匠ではあるが、「かなきり声の風景」はおそらく初めて目にした作品であった。萬氏の代表作品としての他の作品以上に「かなきり声の風景」に魂を震わされていた事実は、おいら自身にとっても驚嘆に値することなのである。一見するにその作品はエスキース(習作)のようにも見えた。然しながらその作品の完成度は限りなく高くいてあり、こんな作品に遭遇するのは極めて希少な出来事と云ってよいのである。

ここからは確証なきおいらの推論に入るのだが、川上弘美さんの「なめらかで熱くて甘苦しくて」は、萬鉄五郎氏による「かなきり声の風景」に触れて触発された川上さんと萬さんとのコラボ的傑作ではないかと思うのである。

文芸誌「新潮」にて連作的に掲載されていた、短編たちの多くは、人間の「性」「sex」がテーマとなっている。だがそれらのテーマはさらに根源的なる「生」や「獣性」や「彼岸」とやらのテーマにも絡めて描かれているのであり、大胆で融通無碍なる筆の息遣いとともに、自由自在的な筆の勢いを累乗されているかのようである。

誤解を恐れずに書くならば、川上弘美さんの「なめらかで熱くて甘苦しくて」は、未完的に仕組まれたエスキース的作品たちである。自由闊達な筆(ペン或いはキーボード)のおもむくままにて描かれたビジョンが荒々しい筆致にて描かれている。あまりにも自由闊達な筆致であるが故に、描かれたビジョンに追いつくことさえ出来ずにいて、読者としてのおいらもまた、途方にくれることもしばしばではあり、読み易い作品ではけっしてなかったのである。それでも自由闊達な筆に魅了されつつ、最終章を読み終えたときの感動は他に得がたいものなのであった。

しゅういつな筆を操る名人がその自らの殻を打ち破るべき脱皮の様相でもある。此れこそはまさに、天才が生まれつつある姿を彷彿とさせていたのである。

この季節には絶対に食べたい逸品が「筍の炭火焼」

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筍(たけのこ)が芽吹く季節となった。美味しい筍はこの季節にしか味わえないのだから、筍メニューには注目である。なかでも旬の季節の筍でしか味わえないのが「筍の炭火焼」なのであるから、このメニューを逃してはならない。

本日はまた偶然的に訪れた居酒屋にてこの「筍の炭火焼」にありつくことができたのであった。

地上に芽を出してからは数日以内のものが収穫されて食用にと提供されるが、若芽のごとくの筍は、芽を出したその当日に収穫されたもののことを指しており、其れが特に珍重されるのだ。

多少厚い皮に包まれた筍をそのまま炭火に掛けて焼いていくと、外皮の部分は黒く焼き目が付いていき、中にはほくほくして蒸し上がった筍のエキスが充満していくのであり、そんな調理の妙を経て得られる「筍の炭火焼」こそは、この時季の逸品メニューに恥じない代物なのである。

ブリの煮付けを、行く冬を惜しみつつ味わった

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出世魚の代表格であるブリは、年を重ねるごとに脂身を増していくのであり、人間にとっては美味い条件を増していく。冬はブリが美味しい季節なのであり、春の訪れとともにブリへの愛着も断ち切れないのである。そんな冬のブリのうまみを凝縮させた簡単料理が、ブリの煮付けだ。ブリのカシラを素材にして、日本食のベースである醤油と砂糖と味醂といった甘辛の調味料でじっくりと煮込まれてつくられる。脂が乗ったブリの旨味を味わえる料理だった。

寿司ねたにはいまいちだが、酒の肴としてはいける「アボカド」

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アボカドを酒の肴、つまみとして、所謂つまみ食いをしたのだった。何時ごろからだったのだろうか? 寿司屋のねたケースに乗っていたのを見つけて、試しにとその「アボカド寿司」を食べてみたのだが、その当時には全然ピンと来なくて、それ以来おいらは、アボガド寿司は邪道であるとの一念を通してきたのではある。然しながら先日、わさび醤油につけて食した「アボカド」は、其れまでの思い込みを払拭させるべきほどのインパクトでおいらの味覚を刺激していたのであった。これは酒の肴に打ってつけであると確信すべきものではあった。

メキシコと中央アメリカが原産とされている。然しながら近頃では国産のアボカドも生産されているのであり、秋期に収穫された国産のアボカドが充分な熟成を経て出荷されている。おいらの狙いは実は、そうした国産のアボカドなのである。