村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の現在的意義(1)

 

村上春樹さんの3年ぶりの書き下ろし長編小説となる「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。書店では発売前から最大級の新刊案内が行なわれており、滅多にすることのない新刊予約というものをしてしまった。万一新刊が購入できないことを考慮しての保険だったが、初版部数や重版も多く、その必要はなかったようだ。部数は発売時点で4刷50万部に達したという。

主人公の多崎つくるは、自分の氏名に色彩が無いことを自覚しながら生活している。高校時代の5人の仲間は、つくるを除いて名前に色彩を持っていた。赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵里は、それぞれを「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」と呼びあっていたのだが、つくるだけが色がないという奇妙な疎外感を感じていたのだ。グループの5人は高校の同級生だがボランティア活動がきっかけで友達となり親密なグループであり続けていた。強固な絆で結ばれた特別な仲間たちであるはずだったのである。しかし高校卒業後につくる一人が地元の名古屋を離れて大学2年になっていたある時、仲間の4名から突然の拒絶の言葉を云い渡されるのであった。身に覚えのなかったつくるにとってのショックは筆述に尽くしがたいものであり、故郷にとどまることもできずに帰京していた。それ以来のつくしは毎日毎日、死ぬことばかりを考えて日々を送るのだった。

新著の表題にある「色彩を持たない多崎つくる」とは主人公の一面を表しているものだが、それは換言すれば、とりたてて個性や能力を持たないことを自覚している主人公の特性を示しているといえよう。現代人の多くが胸の奥底で抱いているものを、主人公の氏名の設定にて表してしまっているのであり、こんな軽いアイディアを実作品に反映させていく春樹さんの軽妙な感性はなかなか真似できるものではない。小さな「天晴れ」をくりかえしながら、本作品でも軽妙かつ奥深い村上ワールドがつむがれていく。

仲間からの唐突な拒絶から16年ほど経った多崎つくるは、人生で何人目かの彼女こと木元沙羅と付き合うようになったある日に、沙羅からの提案で、人生の岐路となった仲間からの絶交の原因を追究することを決心し、元仲間たちを訪ね歩く旅にでることになった。これらの行為がまた、表題の「巡礼」にかかっているが、実はさらに、フランツ・リストのピアノ曲集「巡礼の年」にかけられていて、新著の通低を流れるメロディーを奏してもいる。「ノルウェイの森」「1Q84」でも使用されたテクニックがここにもまたごくさりげなく用いられている。

仲間の16年後を追究するなかで、つくるは幾つもの謎に遭遇する。作品中のある箇所ではまるで推理小説風の記述で読者の興味を惹いていくが、そこはあくまで春樹流のストーリー仕立てのひとつに過ぎず、けっして推理ねたを追う展開にはならないのであり、謎はあくまで謎としての存在理由を保ち続けているので、奇異に感じさせるかもしれない。逆にみれば、謎解きを拒否してまで村上ワールドをつむぐという独特のスタイルで、読者をひきつけているのだ。

(この稿続く)