橋下徹の大阪市長辞任劇は衆愚政治の極みと云うべきだ

このところ全くと云ってよいほど存在感が無かった橋下徹が大阪市長を辞任するのだという。そんな馬鹿げたニュースがメディアに踊っている。此れにより一躍大阪界隈の政治情勢が沸き立っているようなのであり、橋下の注目度が高まっている。此の光景はまるでかまって君がメディアに泣きついている様相が見て取れる。それを待っていたとばかりに受け止めて報道するメディアとの相関劇は、まさしく衆愚政治の極みと云わねばならない。橋下が企む今後の政治的日程については様々なメディアが報道しているのだが、多くの識者が馬鹿げた辞任劇の無意味性に言及しているにも拘らず、どれもがその不条理性についての言及を避けているように思われる。即ち換言すればそんなことが可能だと考えてもいなかったおいらを含む日本国民は、まるで開いた口がふさがることが当分無いような気分に襲われてしまっている。幸いなこととしておいらは大阪市民でも大阪府民でも無い。然しながら日本国民の一人としては看過出来ない事態なのだ。大阪市民ではないおいらやその他の日本国民にとっても看過すべからざる政治的状況が惹起されたようなのである。