佐竹河内守騒動にみる、虚言師、作話師に関する一考察

佐竹河内守といういかさまベートーヴェンことペテン師の話題がいっこうに収まる気配がない。これでもかと云うくらいの出鱈目な虚言と作話のあれこれには日本中の誰もが唖然としたようであり、其の様相は或る種の公共的正義感の噴出の元となった気配さえある。ネット界隈における「祭り」にも近しい騒動である。だが問題は其れだけには留まらない。想定外の騒動の広がりには、現代日本社会に根深く棲息する虚言および作話に対する関係性が存在しているのである。

そもそもとして我が国日本人が作話師、虚言師に対しての嫌厭の思いを強くしていたことは戦前よりの史実において明らかであり、そんな嫌厭の情に歯向かうかのごとくのごとくに佐竹河内某などの詐欺師が横行しているのだ。かつてはおいらの記憶が確かならばそんな詐欺師は小っ恥ずかしいという思いを抱きつつ、世の中の察りの式場なりその他諸々の派手なる場所には小っ恥ずかしい思いからにて近ずからなかったのだが、昨今の詐欺師風情においてはそんな基本的な倫理観さえ失われてしまったということなのであろう。

本日にマスコミへファクスされたという言い訳等は、そんな小っ恥ずかしい思いを感じ取ることなく増長された嘘ペテンの虚言の数々だと云うべきである。こんな似非アーティストはこの世から居なくなってほしいと思うのはおいらだけではないだろう。