「シイラ」という魚の握り寿司を味わったのだ

魚介居酒屋に入ると、「シイラ」という珍しい名前のメニューが飛び交っていた。「シイラの刺身」「シイラの握り」……。まさかシイラカンスではあるまいな、どんな魚なのかいな? と若いアルバイト店員に問うても、納得する答えは返ってこない。まあアルバイト店員にそれ以上の答えを期待することが間違っているのだと、とにかく注文をしてみたのである。

出てきたその「シイラ」とは、一見すると普通の白身魚のようであった。初めての体験とばかりにゆっくりと口に頬張れば、う~む、それほど個性的な味ではない。地味な白身魚の一種といった印象なのである。

そして弐口目、う~むこれは大型の魚だな、蒲鉾に利用されるものよりも脂が乗っていて、けっして悪くない味だ。意外にいけるかもしれない……、等々の思いが頭の中を駆け巡っていたのだ。

実際に調べてみたところ、「シイラ」という魚類は2mにも達する大型の温帯魚である。シーラカンスとは直接的な関係はないらしい。頭がずんぐり大きく、頭でっかちな風体が特徴的である。

日本人にとってもある程度知られたポピュラーな魚類に属すると見え、その証拠に、各地域での特別な名称、地方名が存在する。秋田地方では「シラ」と云い、千葉の地方では「シビトクライ」等とも呼ばれているそうだ。全国的によく収穫されてはいたが、あまり食文化の王道の食材とはならなかったようなのだが、しかしながらこの食材には日本人に受け入れられる魅力があると感じ取ったのである。

余談ではあるが、ハワイ等の飲食店では「シイラ」は高級魚として供されるのだという話を聞いたことがある。ネットで調べたら同様の事が書かれてあった。ハワイと日本の食文化の違いや共通点が、これによって浮かび上がってくるかもしれない。もう少し調査を進めてみることにしようと思ったのだ。

海鮮丼に一味効いていたのがメカブなのだ

ランチで海鮮丼を食したのだが、ここの海鮮メニューはシンプルでありながら、具材の一番下に盛り付けられた「メカブ」が、とても絶妙な味わいを醸していたので紹介しておきます。

イカとマグロといったら、これだけでは海鮮丼の中でも貧相な部類に入るが、ここに、メカブと白胡麻があしらわれていたのである。

一口頬張れば、マイルドな磯の香りが漂ってくる。そしてこれが意外なほどの驚きであったのだが、ピンとしたミネラルの風味に、身体が一瞬に凛として立ち直ったような思いが襲ってきたのだ。

こんな刺激はメカブが持つミネラルの仕業であろうと合点した。想像以上に効能豊かな食材である。

そんな思いを強く持ったおいらは、帰り道に地元のスーパーに立ち寄り、メカブのパックを買い求めていたのであった。

これから朝食には、納豆や海苔と共に、メカブ1パックの習慣付けを行なっていきたいと思っているところなのである。

建築写真集「Kobaken Archit Photo」(小林研二写真事務所)を発行しました

みどり企画の出版事業部「みどり企画出版」では、このほど建築写真集「Kobaken Archit Photo」を発行しました。

小林研二写真事務所のスタッフが撮影した建築写真を纏めた写真集です。

ご注文はこちらからお願いします。

http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/1/p-r-s/

■Kobaken Archit Photo
著者:株式会社小林研二写真事務所
制作:みどり企画
発行:みどり企画出版
定価:1,050円(税込)
判型:22cm×20cm
頁数:40頁

沖縄コンベンションセンター(沖縄県)
高知県立坂本龍馬記念館(高知県)
豊田市美術館(愛知県)
東京国際フォーラム(千代田区)
山口県総合保健会館(山口県)
M2(世田谷区)
戸板女子短期大学(港区)
東京国際展示場(江東区)
大阪ワールドトレードセンタービルディング(大阪市)v
大阪アメニティーパーク(大阪市)
霞ヶ関中央合同庁舎第7号館(千代田区)
鹿児島県庁舎(鹿児島県)
栃木県庁舎(栃木県)
リバーウォーク北九州(福岡県)
ヤマダ電機本社ビル(群馬県)
長野市オリンピック記念アリーナ(長野県)
トラス・ウォール・ハウス(町田市)K邸(群馬県)
多摩水道改革推進本部庁舎(立川市)
杉並公会堂(杉並区)
アトリウム秋葉原ビル(台東区)
富士ソフト秋葉原ビル(台東区)
三井生命名古屋ビル(愛知県)
グレートアイランド倶楽部クラブハウス(千葉県)
那須野が原ハーモニーホール(栃木県)
四日市ドーム(三重県)
所沢市民体育館(埼玉県)
恵比寿ガーデンプレイス(渋谷区)
トルナーレ日本橋浜町(中央区)
北上市文化交流センター(宮城県)
びわ湖ホール(滋賀県)
日本科学未来館(港区)
ラフォンテ代官山(渋谷区)
プラウド横濱山手(神奈川県)
アクアリーナ川崎(神奈川県)
草加市立病院(埼玉県)
高崎市医療保健センター・新図書館(群馬県)
THE TOKYO TOWERS(中央区)
千葉市美術館(千葉県)

本屋大賞第1位「謎解きはディナーのあとで」(東川篤哉)

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本屋の書店員による投票で受賞作品が決まるという「本屋大賞」に、本年度は「謎解きはディナーのあとで」が選ばれたというので、少々遅ればせながらに読んでみたのです。

一昨年の受賞作品、湊かなえ氏の「告白」の感動を体験していたので期待度は大きかったが、しかしながら読後感としてははなはだ期待外れと云うしかなかった。

先ず第一にこの作品は、筒井康隆氏の「富豪刑事」にヒントを得て創作されているのだが、そのパクリ度の凄まじさは尋常ではない。先達の作品に感化されたとかインスピレーションを得たとかというレベルではなくして、良いところをそっくりと盗んでしまったというくらいのものなのだ。

若手美人女優こと深田恭子の主演でTVドラマ化されヒットしたことから、この手のシチュエーションが大衆の嗜好をキャッチするだろうという計算高い目論見があったことが推察可能である。「富豪刑事」の初出が連作短編集であったが、この本の体裁もまた同様の連作集の形をとっているのだから、徹底しているというのか、えげつないと云うべきなのか…。

しかもこの作品集はといえば、筒井先生の作品のようなスケールの大きな諧謔的の視点は視ることも出来ず、あるのはみみっちい「ユーモア」の数々でしかない。書店員がこの作品のユーモアを褒め称えたことから受賞に至ったということのようなのだが、この程度の「ユーモア」に大騒ぎする書店員の感受性のレベルの低さには、些か驚かされたと云うしかないのだ。

登場人物は、深田恭子のようなお嬢様(宝生麗子)、花形満を俗化したような馬鹿警部(風祭警部)、そして唯一の切れ者の執事(影山)の3人による3者3様の推理を中心に展開していく。短編連作のそれぞれにこのようなシチュエーションがしつこく描かれていく。まるで読者を馬鹿にしているのではないかと感じられるくらいにしつこくそれは繰り返される。犯人や容疑者達の生態も描かれてはいるが、極めてそれらが薄っぺらいのだ。書店員達が絶賛しているというミステリーのレベルはあまり高くは無い。ミステリーマニアではないおいらにもそのくらいのことは判断が出来るのだ。

通常、ミステリーをクライマックスにかかって読み進めるうちに、読み進むスピードがアップしていくものだが、この本ではそんなウキウキ感も感じ取ることが無かった。却ってそのワンパターン的シチュエーションに飽き飽きする気分に蔓延させられたのだ。

結局のところ、この作品が「本屋大賞」なる賞を受賞したという話題性ばかりが先行し、売れ行きは100万部を突破して上々なのだという。書店員の多くがこの程度の「ユーモア」に飛びつき支持し、それを大手マスコミが後生大事に取り上げるという馬鹿げた構図が、いつの間にやら出来上がってしまったということなのであろう。

ラーメンのデパート「宮城」で「ファンモン麺」を食する

八王子駅南口を降りて2~3分のところに、八王子出身のミュージシャン「ファンキーモンキーベイビーズ」御用達の「宮城」なるラーメン店がある。

看板には「ラーメンのデパート」というキャッチフレーズが踊っているが、基本は「八王子ラーメン」の店、即ち醤油ベースのスープに玉葱のみじん切りがトッピングされ、スープの表面には熱々の脂が浮いていて、麺は中細のストレート麺、という地元密着の店なのだ。

そんな地元店が、いつの間にやらファンモンの人気で火が付いて、近頃では全国からファンモンのファンが集う聖地と化している。

本日食したのは「ファンモン麺」。基本的八王子ラーメン「宮城ラーメン」をベースに、じっくり煮込んで味付けされた煮卵とナルト、そして濃緑の海草のようなものが載っている。この海草こそが、メンバーモン吉がお気に入りの岩海苔なのだ。ファンモンプロデュースによって生まれたのだ。つまり、「ファンモン麺」とは「ファンモンのファンモンによるファンモンのためのメニュー」だということになる。たしかに岩海苔は八王子ラーメンのスープに良く馴染んでいて美味しいのだから、ファンは口コミネットワークなどを経て、益々ファンモンの味に群がるのだろう。

ファンモンのメンバーたちはよくこの場所で取材を受け、ファンモン麺をアピールしていている。取材者も知らず知らずにファンモン麺をすすることになり、八王子の地元麺類の味を舌に記憶していくことになる。ファンモンは地元愛の心で八王子ラーメンの味わいを全国にアピールしようとしているのかもしれない。八王子の広報担当としては、立派な仕事振りである。

■ラーメンのデパート 宮城
八王子市子安町 4-26-6
電話 0426-45-3858

春爛漫「春キャベツと桜の花スパゲティー」

春の食材の中でも、春キャベツが一押しお勧めのおいらである。

先日は家で春キャベツのお好み焼きを作って味わい、その味覚を満喫したばかりである。それでは春キャベツのメニューには如何なるものがあるのか? と、このところずっと興味津々の的であった。

そんなところで今日遭遇したメニューは、「春キャベツと桜の花スパゲティー」であった。春キャベツは予想通りに瑞々しくて柔らかであった。そしてもう一つの主役の「桜の花」は、少しばかり塩辛くて春らしくはなかったというべきだろう。
味覚だけではなく視覚においても春を味わえる食材として「桜の花」が採用されたということが推察可能であるが、視覚と味覚とのギャップをどう認識しているのかと訝しく思うのである。

食用にされる桜の花は、ほぼ全てが塩漬けにされて供されている。この塩漬けされた桜の花というものが、近頃では静かにグルメ界に浸透しているようなのだ。グルメ界だけではなく、風流を求める関係者たちにとってはこの「桜の花」がとても重要なアイテムのようだ。

寒い季節からの開放を象徴するかのように咲いてはパッと散っていく、そんな春の桜の花弁を塩漬けにしようとした人たちのことを考えるに、様々なかつ複雑な想いを抱かざるを得ないのである。

身も心もリフレッシュさせる菖蒲湯の効能

地元の銭湯で菖蒲湯に浸かった。昼間の銭湯はほっとして和む時間だが、特に二日酔いで傷んだ身体を癒すにはこのうえなく有り難い時間となっている。長さもゆうに50cm以上もある菖蒲から発せられる凛とした香りは、弛んだ日常に活を入れるような効。能を感じ取るのだ。

菖蒲湯の由来については幾つかの説があるようだが、武家社会で菖蒲と尚武をかけて5月5日を尚武の節日として祝うようになったのが端午の節句の始まりだというのが有力武家社会の仕来たりが背景にあるということなのだろう。

だが武家社会の風習ばかりが菖蒲湯の由来だと考えるのは早計であり、それ以前からの菖蒲湯の持つ効能に着目すべきなのだ。中国では邪気を祓い健康を招く薬草として珍重されており、我が国においても同様の所見があったというのも想像に難くないのだ。

スーパーに立ち寄ると、菖蒲の茎が販売されていた。今日は子供のいる多くの家庭では菖蒲湯を沸かすのだろう。

コラーゲン豊富で味もいける「テール」の焼肉

焼肉店にて「テール」というメニューを食した。牛の尻尾の部位であり、中の骨ごとスライスして出された。直径10cm以上、厚さ1cmはあろうかという大振りの切り身である。韓国料理ではスープの出汁用途として使われる部位だが、これまで滅多に口にすることの無かった食材である。

炭火でじっくり火を通して口にすれば、やはりというか想像以上に硬い。しかも骨と肉とががっちりと絡まっているので、噛み切るのも容易ではない。久しぶりに食べ物との格闘をした気分になった。

これだけコリコリとして細胞が凝縮していて、しかもコラーゲン豊富なのだから、お気に入りメニューに登録しておこう。

ほとんどの哺乳類が持っているが人間には退化して無くなったという部位である。おまけのようでいて決してそうではなく、牛や豚などの動物には必須の組織であることを感じる。人間ばかりが哺乳類の進化形ではないのだ。

春キャベツで、ふっくらもちもちのお好み焼きを作った

実家の両親が云うのだが、「近頃のキャベツは硬くてかなわない、昔のキャベツは柔らかくて味が濃かった」のだそうだ。そんな昔のキャベツの味はとうに忘れたおいらだが、確かに怪訝なこともある。半分カットでビニールに包まれたキャベツなどは、1週間以上日持ちして腐らない。昔のキャベツはすぐ腐ってしまい、腐りかかりの匂いを嗅いでいた記憶もある。確かに昔食べていたキャベツと最近のスーパー売りのものとは違うようだ。品種改良で日持ちがし腐らなくなったキャベツは、そのぶん硬くなり、味も淡白なものとなってしまったのだ。

そんな中、八百屋の店頭で「春キャベツ」を見つけたときは、思わず近づいて触感を確かめたくなった。一番外側の葉に触れると、何となくいつものとは違った柔らかさ。顔を近づければ仄かな春の香りさえ漂っている。早速買い求めて調理してみたのだ。

瑞々しい春キャベツを細かく刻んで、お好み焼きを作ることにした。たっぷりのキャベツにお好み焼き粉だけのシンプルな取り合わせ。それを厚めのたまにして鉄板の上で中火で焼いたのだ。キャベツに弾力があるからなのか、生地は薄っぺらくなることも無く、ふっくらとしたお好み焼きに仕上がったのだ。

口にしてみれば、キャベツの筋は熱によって程よく緩和され、もちもちした食感が拡がって来る。お好み焼きが春キャベツという特別な種類を使用することによってこれだけふっくらとしたものに変身するのだ。最近の料理の中ではヒット作といえるかもしれない。

「アンフォルメルとは何か?」2 特筆されるデュビュッフェの存在感

昨日の「アンフォルメルとは何か?」からの続きである。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3767

ブリヂストン美術館での企画展のタイトル「アンフォルメルとは何か?」は、過去の美術史を紐解いて「アンフォルメル絵画」の概念を定義しなおそうという試みがあるようだが、一般的な絵画ファンはもとよりアンフォルメルに傾倒したおいらのような人間にとっても、至極目障りな試みであると云わねばならない。何となれば、それはまさしくアンフォルメル絵画というものを歴史的な事象として刻印する試みに他ならず、つまりはそれが持つ現代芸術的意味合いを否定するものとなるからである。「アンフォルメル芸術」は決して過去に発生し過去に閉じたムーブメントなのではなかったのてである。

そもそも「アンフォルメル絵画」の名付親は、美術批評家のミシェル・タピエだとされている。日本語で「不定形なもの」を意味するその言葉は、フランスの前衛芸術運動の中での特別な意味と価値とを有するものとなっていた。タピエが先駆者として認めていたのが、ジャン・デュビュッフェ、ジャン・フォートリエ、ヴォルスの3人である。第二次大戦後の混乱期に活動を行っていた3人の作品は、当時の画壇は彼らを黙殺した。新しい動きが根源的であればあるほど保守的な画壇は拒否反応を見せるのだろう。彼らをバックアップしていたタピエの存在は、まさに世界の美術史に於いて特別な意味を付与されるといってもいいだろう。

ところがタピエは、この「アンフォルメル」といった珠玉の概念を拡散しすぎてしまったようだ。猫も杓子も、現代芸術、現代美術といえば、アンフォルメル風なものとして流通させてしまったのである。功罪相半ばする彼への評価は、まさしくこのことによっていると考えてよいだろう。ジャクソン・ポロックの作品までもをアンフォルメル芸術とするのは、批評家の見識さえ疑われて当然である。日本の同展覧会の出品作品もまた拡散した「アンフォルメル風な」作品が幅を利かせているのをみるのは、些か耐えがたい思いさえするのだ。

展覧会場では「ピエール・スーラージュへの6つの質問」というビデオが流されていた。そこでスーラージュは、現代芸術における極めてポイントとなる言葉を語っていたので紹介しておきたい。

「…この言葉(アンフォルメル)は、感じがいいと思います。アメリカ人が使う“抽象的表現主義”より、ずっといい言葉だ。」

「幻視は芸術ではありません。芸術は存在です。私はそれを発見しました」

「アンフォルメルとは何か?」1 ケンキョウフカイ ―ジャン・デュビュッフェ私論―

ブリヂストン美術館では「アンフォルメルとは何か?」という企画展が開催されている。かつて若き時代においらの制作活動に甚大な影響を与えたジャン・デュビュッフェさんの作品が展示されていると知り、足を運んだのでした。

■ブリヂストン美術館
東京都中央区京橋1-10-1
会期:4月29日~7月6日

懐かしさと親しさとがこみ上げて来るような邂逅を経た後に感じたのは、歴史的な事象にまとめられてしまったのかと云うある種残念な思いであった。学生時代にある文集に寄稿した一文を見つけ、云十年ぶりに過去の自稿に触れていた。少々長くなるが、再掲してみる。

ケンキョウフカイ ―ジャン・デュビュッフェ私論―

今日、聖なるものは公言されえない。聖なるものは今や無言なのだ。この世界は内的で沈黙した、いわば否定的な変容しか知らない。それについて私が語ることはできる。しかし、それは決定的な沈黙について語ることだ。
ジョルジュ・バタイユ
「沈黙の絵画(マネ論)」

からみあっている生と死とを引き裂き決然とそのどちらかを捨て去ることによって、もはや生きてもいなければ死んでもいないものになってしまった我々は、はじめて歌うことをゆるされる。生涯を賭けて、ただひとつの歌を――それは、はたして愚劣なことであろうか。
花田清輝
「歌――ジョット ゴッホ・ゴーガン」

現代芸術、殊に現代美術といったものに対した時のとまどい――あるときはそれに極端に主知的・形式的な理念を施すことに急なのを見るあまりに引き起こされると思われる離反への誘ない、ある時は単に近代的な創造理念の名残り、その継承でしかないことから来る嫌厭――の只中にいて、一部の現代作家なりの言葉を見つけ出して、ふと水を得た水槽の魚をそばに眺めている心持ちになることがある。換言すればこれは一種の安堵であるに違いない。なんともお粗末な安堵である。何となれば、およそそこには、対立物の闘争――流動し飛躍していく生、すなわちロマン主義的なものと、固定し拘束していく生、すなわち古典的なものとの闘争を、対立のまま統一しようとする花田清輝流の弁証法的な意志が見られないからというばかりでなく、バタイユのいういわゆる至高の瞬間を沈黙の中に於いて渇望する意志もまた欠けているからではあるが――とはいえども筆者(に限らず)は筆者自身がそこにとっぷりと漬かった存在であるという理由から、すこぶる現実的な地盤、観点に立ってのみものを云っているわけではなく、ある時はモハメド・アリのようにして蝶のように舞い蜂のように刺すこともまた無縁である訳ではないのだ。それだからこそゴッホは自らの片耳を切り落としながらも高らかな生の歌を歌い、ゴーギャンはまた死の歌を歌い、マネは不安定で、ためらいがちで、悶々とし、絶えず疑惑の中で引き裂かれながらも、彼自身と他の者たちを解放されるべき新しい形式の世界を求めていたのである。だからこそ筆者もまたここで、ジャン・デュビュッフェについて書こうとしているのである。

鉛白、パテ、砂、小石、コールタール、ワニス、石膏、シッカチーフ、石炭、粉、麻紐、鏡や色ガラスの破片、ヂュコ塗料、等々の物質自体の存在感を打ち出すことによって、描かれる対象の存在感を増加させる、そんなスタイルのデュビュッフェの制作が開始されたのが、1946年「ミロポリュス、マガダム商会、厚盛り」展での人物画からであったろうか。ともあれ一見して行為の喧鬱さが立ち現れてくるようなそれらのタブローも、おしなべて云えば視覚、聴覚、嗅覚、味覚らの働きからくる要素が渾然と一体化されたものであるといってよい。一旦分離された要素が素材との格闘の中で以前にも増した暴力的な力によって織り合わされていく。とにかく混ぜこぜにされるのである。

デュビュッフェの作品世界は明らかに「聖性」と呼び得るもののカテゴリーには属さない。それはあるいは、遥か高みから来る視線からの「逆照射」として一段とランク落ちされた日常的営みの姿だといえるかもしれない。そしてその姿は、画家の視線が移動、鳴動を繰り返すたびにいや増す激烈さによって混沌を醸し出すのだ。デュビュッフェの制作現場は云わば闘技場にも似ている。

ところで「内的で、沈黙した、いわば否定的な変容」をこうむった存在、すなわち「決定的な沈黙」を内に持つ存在、それこそが今度は口を開く番である。主体がそれについて語るというのではなく、「それ」じたいが口を開くのが待たれていた。すなわち闘技場こそが開かれねばならないし、既にデュビュッフェによって開かれていると見えるのだ。

自らの手製の鍵を持ち出してきて、それで沈黙の扉を強引にこじ開けようとしたのがデュビュッフェである。彼自身が云うようにその鍵は「不快さ」と呼ぶべきものであった。うっかりした染み、粗野な不手際、明らかにうそで非現実的なフォルム、出来も調子も悪い色、これらの「不快さ」に彼は固執した。何故か? 彼自身の説明を聞こう。

「…なぜなら、実際には、それがタブローのなかに画家の手をはっきりと存在させるからである。それが客観的なものの支配するのを妨げ、事物があまりに具体化されるのを阻止する。この不快さが、よび起こされた事物と、よび起す画家との間を両方に流れる一種の流れをなし、二つの極はそれによって強烈になるのだ。」

沈黙したはずの事物と画家、この両者が、おそらくは魔術の働きにも似た反応を惹き起こすのだ。それこそは、画家の視線が移動、鳴動を繰り返すたびにいや増す激烈さによって混沌を醸し出す闘技場であるかのようである。

自己の作品「地質と土壌―心的風景」のシリーズを語ってデュビュッフェは云う。

「風景が、現実の場所や自然の本当のマチエールを思わせるというよりも、むしろ、たとえばくたびれた魔術師のおかげで流産あるいは未完成に終ったある種の創造作用を思わせるような奇態な様子を示したのだ。」

この少しくおどけた類の比喩で云い表された言葉も、あの頭のハゲあがった、目をギョロつかせたデュビュッフェの相貌を思い起こせば納得がいくはずだ。創造者といえども、精一杯の行為にうつつをぬかせばくたびれるのであり、くたびれて当たり前なのであり、妊娠した女性がたとえ魔術師だったとしても、くたびれるほどのことをすれば流産するのがおちなのだ。そう見てくれば、デュビュッフェの描く人物像のどれをとっても魔術師と云えなくないし、それは同時に魔術によって変容させられた大衆というもののイメージを成すものなのである。あるがままの大衆であると同時に彼らは既に饒舌である。

デュビュッフェは大衆について語って云う。

「シャブィルの床屋の連中や消防夫や肉屋や郵便屋が話しているのを見ると、連中がたいへん板についているように感じた。わたしよりもはるかにうまくやっているようだし、その話しぶりには、うらやましいような喜びと自信があった。とりとめもないかれらの会話の方がはるかに、活気と奇抜さと創意が、つまり趣きがあった。いってみれば芸術があった。」

大衆の中に「芸術」を視ようとする思潮は新しいものでもなんでもない。だがデュビュッフェの特異な点は、彼自身が身体から魂から何かまで身の回りにあるもの全てを身につけて、そこに身を挺していたと云うことだろう。もはや逃げ場所は無いのである。

「歌う」ことの不可能を知りながら、なおかつ歌わずにいられないのは彼である。からみあっている生と死とを引き裂きながらも、決然とそのどちらかを捨て去ることはしなかった。見渡せばまわり一面、石、砂、石膏、コールタールの世界にいて、決然と「生」を、あるいは「死」を捨て去ったところで何になろう。時がたって積もり積もって山となるか、砕け散って粉々となるか、そのことを誰が知ろう。積もり積もった「死」の堆積をくだいて、粉々となった「生」の砂礫にセメントを垂らし込みながら、彼は意気盛んに行為する。その「健強さ」。

「健強さ」「不快さ」と合わせて「ケンキョウフカイ(牽強付会)」と洒落たついでにもう一言。デュビュッフェのタブローこそは「覚醒めた皮膚(※2)」の暗喩にかなうものではないか。「大草原の物語」を視よう。原型質細胞を想起させる輪郭を持った一つ一つのまとまりが、あるいは浮遊し、固着し、飛び回り、せめぎあっても見える。そしてその只中にようやくそれと分かる程の目、口、耳、鼻が暗示され、浮かび上がるように目に映るのは7個の生命体であろうか? 目は事物の輪郭を識別すると云うよりも画家とそして鑑賞者の視線に拮抗するかのようにこちらからの思い入れを峻拒しているようだ。口は果てしなく喋々しており、くたびれたその時には我が国の詩人の言葉に首肯する耳をも示すのだろう。 ――「言葉だけの希望が無い方がいい。言葉だけの絶望が無い方がいいように」(吉本隆明氏の言葉より)

※ この稿続く

※2 当時の芸術祭のメインテーマ