平成の明智光秀こと石原伸晃が最高権力者になるのか(1)

政治家という職種の人間はほど知らずに権力欲に長けているとようであり、ことに総裁選、代表戦といった類の、数年に一度のメジャー級合戦に臨むときこそその本領をあらわにするものだと見える。

自民党の石原伸晃などは其の典型とも云え、父親譲りの奇異なレトリックを駆使しつつ、虎視眈々と最高権力の奪取には余念が無い。自民党の「ポスト谷垣」の座がすなわち我が国の最高権力者の座に直結するわけであるから、その言動にはのっぴきならないものを感じさせている。

現自民党執行部のNo.2の座に座っていながら、よほど座り心地が悪かったのであろう、一番の親分こと谷垣総裁に対し「谷垣さんのためにやってきた訳ではない」と、反旗を翻して立候補表明を行なった。それが原因の一角だろう、谷垣が立候補断念を示したことで、石原伸晃への評価が渦巻いているのだが、特に副総裁が述べたとされる「平成の明智光秀のようだ」というコメントが、火の燃料を注いでいた訳であり、一定の定番的評価として浸透している。

石原伸晃という政治家を積極的に評価しようという国民は、たぶんごく少数であろうが、それでもなお石原陣営は勢いがあり、自民党総裁選の本命と目されるほどになっている。自民党の総裁選びが石原支持に働く、石原伸晃支持に収斂するのであれば、知見のある多くの国民ははなはだ惨めな立場に立たされることになる。

魚の逸品加工品の「イワシの丸干し」焼きメニュー

魚の加工品的食材の中には「丸干し」と云うものがあり、イワシやサンマを天日干しや機械乾燥などで乾燥させた食材を指している。

特に好みなのは「イワシの丸干し」であり、先日は干し加減が良好で10cm程度の大ぶりのそんなメニューにありつけていたという訳なのである。

丸干しと云う加工魚食材の特長は、半生的な魚の良さを引き立てていることである。生の食感や味わいには遠いが、開きもの等の乾燥ものには有り得ない魚特有の苦みやアクを味わうことが出来る。

決してスマートな味わいではないけれども、却ってそれが魚独特の味わいを強調しているとも云えるのである。

居酒屋のつまみで出会した「豚のすき焼き」

日本の鍋料理の代名詞として「すき焼き」に勝るものは無いであろう。そんな「すき焼き」を此の残暑厳しい初秋の今の季節に食する機会に出くわしたのであった。

鍋を構成するその基本的具材は、豆腐、糸蒟蒻、葱、白菜、とそして豚肉。いつもの定例の定番的素材ではある。主役が牛肉ではなく豚肉だというのが、此のレシピの肝ともなっている。

豚肉は堪能したが、豆腐はいまいちであった。木綿豆腐か焼き豆腐を使用するのが定番であるのに絹豆腐が使われていたからである。すき焼きに絹豆腐は決して似合わない食材なのであり、邪道であった。

出汁を充分吸って味の染み入った「黒おでん」

静岡ではポピュラーなのが「黒おでん」。黒い出汁でおでん種をじっくり煮込んで、たっぷりと味を染み込ませている。

黒いのは「黒はんぺん」のみならず「大根煮」も充分に黒いのだ。

黒い出汁の基本は、牛筋からとっているので、コクがあり且つコラーゲンも豊かに息づいているのであり、東京でもしばしば見かけるようになってきている。ローカルな地域グルメがいよいよ全国区の予感なのだ。

細野豪志の民主党代表選出馬は、悪くない選択だ

民主党の代表選挙に所謂イケメン政治家こと細野豪志氏の出馬がとりざたされている。最低の野田の後任であれば誰でもましだ、誰でも良いだろう、等々という退廃的な気分を払拭する契機に成り得る。他にポスト野田の真っ当な戦略を描き得ない民主党の選択としては、悪くは無い戦略ではある。

何よりもまずは、駄目総理の野田再選の芽は早めに摘み取っていくことが肝心なのだ。

次の選挙では、民主党が第一党から退き自民党が比較第一党を得ることがほぼ必定と云われる状況の中で、細野豪志がはたしてどのような戦略をとるかについても関心は継続されていく。ここで野田的大連立のストッパーとなっていくことは細野豪志にとっては最も重要なスタンスなのである。

メニューには「抹茶サワー」とあったが実は「青汁サワー」という味のお酒に酔っている

久しぶりにJR中央線「阿佐ヶ谷」駅に降りてぶらぶらとガード下を散策していた。ちょっと右に逸れて横丁に入ったところで懐かしい赤提灯の姿につられて一献傾けていた。

豚系の串焼きや黒おでんなどが売りの大衆居酒屋であって、まずは当たりの予感ではある。注文した串焼きや黒おでんなどは旨かったが、レモンサワーやその他の酒類がいまいち。ちなみに今時の首都圏居酒屋にて「ホッビー」がメニューに無いというのも腑に落ちないのではあり、果たして此処は当たりなのか外れなのか? 些か心ふるえる展開となっていたのだ。

そんな状況にて目にしたのが、隣の人々がこぞって注文していた青緑色した焼酎割り。メニュー表には「抹茶サワー」とあったが、飲んでみればやはりと云うのか、「青汁サワー」という味のお酒であったのである。

もっと深い味わいを期待していたときの気分からは拍子抜けだが、決して不味くはなかったし、健康にも良さそうではあり、青緑のお酒に舌鼓をして帰ってきたという今宵なのではある。

かつて日本的ポップアートの代表として発信された奈良美智作品は大きな変貌を遂げていた

横浜美術館にて開催されている奈良美智氏の「君や僕にとょっと似ている」展は、2001年に開催した国内初の大規模な個展以来、横浜美術館では11年ぶりの個展開催となる。

おいらが初めて奈良氏に注目したのがその展覧会だったのであり、横浜美術館と奈良氏との間にはよほど強い関係性が生じているのであろう。

奈良氏の描く少女像はある意味でポップであり、さらに言を繋げるならば、コミック的シンボルとしてのイメージが強烈について纏わっている。

横浜美術館にてメジャーデビューした当初の奈良作品について、コミック作家的浅薄イメージの思いを強くしていたが、この10数年で、奈良作品は大きくその印象や価値観を変貌させてきたと云えるだろう。

かつて日本的ポップアートの代表として発信された奈良美智作品は大きな変貌を遂げていた。

もはや奈良美智氏の描く作品世界を「ポップ」だという形容で称することはできなくなってしまったという訳である。

横浜美術館で奈良美智の「君や僕にとょっと似ている」展が開催

横浜美術館にて開催されている「君や僕にとょっと似ている」展を鑑賞した。

http://www.nara2012-13.org/exhibition/

現代美術家奈良美智氏の、大小あわせて109点もの作品が展示されるという、個展という域を超えている展覧会となっている。

訪れてみてその作品群のとても大量な量に圧倒されていた。展示作品のすべてが11、12年の2年間にて制作されているのであり、とりわけ今年こと2012年作品が圧倒的な存在感を示している。

顔や瞳が大きな独特の少女像が、何点も重ねてイメージされており、観客(オーディエンス)に対する浸透力は絶大なものがある。自分自身や近くの友人等々に重ね合わせて「どこか似ている」感が感染していく。その感染力は只者ではないと感じさせるのだ。

おいら流の「断捨離」を実施中(1)

思うところあって、おいら私的私流の「断捨離」を実施しようとしているところだ。

通常、今日の日本において、この様な所業を「断捨離」と呼んでいるようではある。そんな慣わしが一般化しているのであり、おいらもそんな風潮に乗っかろうなどという思いはまったく無かったのだがそれにしてもとても抵抗感が強くあった。

何となればこの我が国における「断捨離」ブームを巻き起こした某女性が、よく判らない商売を行っているからではある。もともとは仏教禅宗の教義からの教えである「断捨離」が、まるで我が国における商的キーワードのごとくに流通している。こんなことは断じて看過すべきではないことを、敢て記しておきたいと思っていた。

先ずは蔵書の整理から始めていた。それほど多くない蔵書を選別していくうちに、手にしていくべきではない書物の輪郭が、何となく浮かび上がっていた。先ずは「図書館にある書物は手におかない」、そして「アマゾンで入手できるものは持つべきではない」¨。

等々の思いを巡らせつつ、おいらの蔵書は時間とともに減っていく毎日なのではある。

Android版、ドコモ的スマホの使い心地(3)「Dropbox」等クラウド対応はとてもスマート

Android版、ドコモのスマートフォンを使用し始めて2ヶ月近くが経過した。iPhoneに比較すれば、未だ完成度の低さや煩わしさは否めないが、それでもその使用にも慣れ、違和感は薄れつつある。

なかでも心地よい使用感を感じさせるのが、クラウド的システムこと「Dropbox」とのスマートな連携だ。スマホのカメラ機能で撮影した画像データが、何の操作も加えることなくして「Dropbox」内「カメラアップロード」というフォルダに自動アップロードされてしまうのは驚きでもあった。iPhoneではこのようなスマートな連携はあり得なかったからである。

iPhoneのシステムはMacintoshの其れを基本としているので、クラウドと云えば「iCloud」との連携を優先しているのであり、「Dropbox」との連携は後回しとなっているようなのだ。そんな縄張り的意識の関与しないところでの、AndroidとDropboxとの密な連携には流石と唸らせるものがあった。これからは、Android版ドコモ的スマホで撮影した画像データは、おいらの手を煩わせることなくパソコンデータとして保存されていくのであるから、そのスムーズさは想像を超えているのである。