「発泡酒の時代」再考

時代は「発泡酒の時代」であるということを、以前書き記していた。だか余りピンとこない、中途半端な考察であった。今日あらためてそのことを思い出し、ほろ酔い気分で再考をしてみたいと考えたのである。

だがしかし、おいらの脳味噌はそうとうばかりアルコールに浸潤されていて、確かな考察などできる状況にはないのである。であるからにして、おいらはその決意だけ述べて、後日に託することにするのだ。

おいらのお好みはホッピーである。(少数派の悲哀を感じるのだ)

おいらのお好みはホッピーである。(少数派の悲哀を感じるのだ)