意外にいける夏の味「キャベツのアンチョビ炒め」

キャベツの味に魅入られてから、最近はキャベツ料理に嵌まっているおいらなのです。

ところで「キャベツのアンチョビ炒め」という不可解なメニューが目に付いたので早速注文してみたところ、これが意外やマイブームにも成りそうなヒットの予感なのでした。

アンチョビとはイワシの稚魚を用いて作られる、イタリア料理によく用いられる調味料である。その調味料を用いてキャベツを炒めた、それだけの料理なのだが、いたく微妙な味わいに感動した。云わばマッチングの妙とでも云おうか…。

胃腸薬「キャベジン」もキャベツの成分を生かしているという。やはりキャベツの持つ消化器官への働きには侮れないものが多く詰まっている。キャベツを食べれば胃腸が休まるというものではないが、胃腸障害を防止する上でのキャベツ頼みも試みて置く価値は、充分にあるのである。

これからの季節、夏になれば胃や腸やへの負担が強くなり、所謂夏バテの体調不良が襲ってくる気配なり。だがそんなときに胃や腸への体調不良を予防してくれる食材として、キャベツの存在は巨きなものである。キャベツを美味しく、しかも感動的に調理する、アンチョビという調味料に、いたく興味が注がれた夜なのでありました。

AKB48総選挙は前田敦子嬢の返り咲きだが、政局はとほほ…

「AKB第3回総選挙」の結果が本日発表された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110609-00000057-natalien-musi

速報等のニュースによれば、昨年は涙を飲んだ前田敦子嬢がトップに返り咲いて、堂々の首位奪還なのだという。

ところでさっきは「奪還」を「脱菅」と変換し間違えてしまって驚いたおいらなのであるが、「脱菅」のほうの政治レベルでの下劣極まる政局はさておいて、AKBのほうの成行きには全国民の注目が集まっているのだろう。ネット上でも熱烈なコメントの応酬が散見されるのである。

前田敦子さんといえば、AKB48の初代のクイーンであったが、昨年にはその座を大していきたい島優子さんに明け渡していた。それが政治政局には無いくらいのまさかの「返り咲き」なのであり、新鮮な感動をもたらしてくれたのである。

おいらの個人的な嗜好を述べれば、前田敦子嬢のほうがだんとつに上であり、大島さんやその他のメンバーは人気度にて高点数は付けがたい。嗜好は嗜好であり、それ以上の理由は無いが、ファンの嗜好を第一義的に表した投票結果として、今回のイベントは意味を持つのであろうと考えている。

さて、おいらはその昔はアイドル関連の媒体に寄稿していたこともあり、AKB48騒動にも気が気ではないのであるが、それ以上に大切なのはリアルな政治政局である。

「脱菅」という流れが極めて深い政治の大衆劣化の流れと結びついているのではないかと、深く懸念しているところである。そんなリアル政局のテーマについては近いうちに整理して表明していきたいとかんがえているところなのだ。

御徒町「佐原屋」で「納豆とんぶり」を食した

「畑のキャビア」とも称されるのが「とんぶり」。見た目がキャビアにそっくりなことから名付けられた俗称だが、そのぷりぷりとした食感や歯応え、そして他の食材とあえた時のマッチングが愉しみで、よく酒のつまみとして食してきた。

先日、御徒町駅ガード下の名店「佐原屋」にて注文したのが「納豆とんぶり」だった。

もともと納豆大好きのおいらであるが、更にとんぶりとあえることにより、ぷりぷり、プチプチとして歯応えの好い食感が加わっていた。

本家本元のキャビアと云えば、チョウザメの魚卵が材料でそれを塩漬けしたものだ。いくら高級食材と云えどもプリン体の塊ともみなされており、通風持ちのおいらにとってはまさに禁食区内の食材なのだ。

こととんぶりについてはプリン体フリーであり、そんなに気を遣う必要も無い。思いっきりに口に含んで、味わって、畑の恵みを満喫できるのだから有り難い。

少々調べてみると「ほうき草」の実だということであり、昔からほうきの材料として栽培されながら、食用にも利用されてきたという伝統食材である。

おいらも益々、このとんぶりに愛着が湧いた、御徒町界隈の一軒なのであった。

異端の香りを振り撒く「茗荷(みょうが)」の蕾の清冽さ

茗荷が美味しい季節になった。

その昔、茗荷を食べると馬鹿に成る、物忘れが酷くなる、等々の俗説が蔓延していた。子供の頃は俗説とも知らずにその「馬鹿に成る」理由をあれこれと詮索していたことがあった。当時思い当たったその根拠はと云えば、その強烈なる独特な香りが神経を麻痺させるのではないか? ということだった。

今ではお笑いものではあるが、子供心にその根拠は正当なものであると何年間も信じ続けていたものだ。特に幼少年期の初心な感性にとって、茗荷のような異端の香りは強烈な印象を与えていたのであろう。

ところで食用にされる茗荷と云えば、花開く前の「蕾」の部分である。いくつかの蕾が寄り合った形状であることからこの部分を「花蕾」と呼ぶこともある。我々は花として開く前の清冽な香りと味わいを愉しんでいる訳である。

食し方としてポピュラーなのは、「薬味」としての利用である。冷奴、蕎麦、等々に添えれば主食材を一段と清冽にさせ、特に夏の体力維持にはもってこいである。個人的には刺身の薬味としてもナイスな取り合わせであり、時々利用しているのである。

その他、朝漬け、味噌汁、天ぷら、酢の物、等々の具としても使える。これらの料理だと茗荷が主役にもなり、茗荷冥利に尽きるのだと云っても良いくらいだ。

パウル・クレー「おわらないアトリエ」展が開催

東京国立近代美術館で「パウル・クレー おわらないアトリエ」展が開催されている。

http://klee.exhn.jp/index.html

パウル・クレーという名前はおいらにとって、やはり巨きなものである。例えてみれば、初恋や付き合った人とはちょいと違うタイプでいて、ある種の憧れの存在でもあったが自ら積極的にはアプローチすることも無かった。然しながら憧れであることは否定しがたく、いつかきっかけがあったらお付き合いしてみたい、……、等の人と比喩してみたら良いのだろうか?

ともあれこの展覧会の特徴の一つは、作家(クレー)のアトリエを覗き込むような仕掛けがいくつか施されているということ。作家の代表的、本格的な作品群に触れることとあわせて、受け取るべきエモーションは極めて巨きいものがある。これまで発見することのなかっクレーの制作の原点を、いくつか確認することができたのだ。

その第1点は、素描を大切にして制作の基本においていること。鉛筆やコンテ等によるイメージデッサンの第1歩としての素描の工程を、非常に大事な工程として捉えているのだということだ。

クレー独自の技法とされる「油彩転写」では、下書きとして描かれた素描の筆遣いを一段と強調し絵画化させることに成功している。単なる技法の開拓に止まらずに、彼が描いたタブローの中で占める素描的表現、すなわちクレー自らの技法は、極めて稀なる芸術的な高みへと昇華されたものとして受け取ることが可能である。

そして第2点目に感じ取るのは、小品・中品の作品群で満ち足りているということ。大上段に構えるのではない等身大の作品群とでも云おうか。

現代作家は往々にしてハッタリをかまして自らを巨きく見せようとする傾向があるのだが、現代美術家の大御所としてのクレーの慎ましやかなやり口、志向性には却って尊崇の想いを強くする。ハッタリが幅を利かす世の中だからこそ、そんな現代の似非文化との違いが際立っているということでもあろう。

■パウル・クレー おわらないアトリエ
東京国立近代美術館
2011年5月31日~7月31日
東京都千代田区北の丸公園3-1
03-5777-8600

酒の〆にもってこいの「キャベツラーメン」

仕事帰りに一杯お酒引っ掛けているとき、ラーメンが食べたくなることがある。

アルコールの勢いで注文して、翌朝起きてみたら胃腸がもたれて後悔したことも少なからずあった。帰宅してから家で作るラーメンでも、ほぼ同様であり、この場合は食後直ぐにベッドでグーグーという結末をとるので更にたちが悪くなるものなのだ。

というわけで極力、酒の〆のラーメンは控えていたのだが、昨日の「キャベツラーメン」は特段の後遺症も無く、しかもアルコールで緩んだ胃腸と脳味噌をしゃきっとさせる効果もあり満足だった。

春の新キャベツには特別の愛着を感じていたが、ここに来て初夏に流通するキャベツも悪くないと感じた。大蒜、生姜の薬味を多めにして炒めたキャベツはシャキシャキとして、口直しの効果も与えてくれたのである。

今年もらっきょう漬けの季節が到来

八百屋には土付きのらっきょうが並ぶ季節がやってきた。店頭に並ぶのは、500gもの、1kgものとあるが、今年は500gものが多い。

聞くところによれば今年のらっきょうは例年よりも不作なのだという。いくぶんその大きさも、例年よりも小ぶりに見える。

ともあれ今年も1kgものらっきょうを買い込んで、らっきょう漬けを仕込んだのです。

まずは土付きらっきょうの芽と根の部分を包丁でカットし、薄皮も丁寧に剥いでいく。この行程に約1時間。そして流水でしっかりと洗い、沸騰した湯の中に入れ数十秒。年間を通して保存食材として利用するため、殺菌の為の行程は欠かせないのだ。

塩漬け、醤油漬け、等々と漬け方は様々あるが、今年はオーソドックスな甘酢漬けにしてみた。特にこれからの猛暑を乗り越えていく上で、酢の力は大いなパワーになるのだから、じっくりと漬け込んでいきたいものである。

茹でよりは確かに旨い「タコの唐揚げ」

そもそもタコを唐揚げにするという料理は、おいらの田舎には無かった。それどころかおいらが上京し、東京の都会の垢に染まりつつも都会生活の中で溺れていた時期においても食べたことは無い。

このメニューが全国的に注目を浴びたのはおそらく、菊正宗のCMであったのであろう。
生かあるいは茹でたタコを食するのが通常の市民の慣わしであった時分に、いきなり変梃りんなメニューがブラウン管を席巻していたのであり、驚きであった。

近頃では時々は食らうこの「タコの唐揚げ」というメニュー。食感は生タコ、茹でダコよりも弾力がありもっちりしていて悪くない。しかも柔らかくもあるが、タコのもっちり感はそのままに残されているので、特別な食感を愉しむことができる。

注文して周りを見渡すと、隣のおやじは鶏の唐揚げを食っておった。鶏唐揚げこそはおいらも幼少の頃よりポピュラーであり栄養価が高く、文部科学省推薦のメニューだろう。
普通に調理して揚げた鶏の唐揚げはほとんどが、不味いはずが無いくらいに旨い。

鶏肉に代わるくらいにこのメニューが普及することはあり得ないということは明らかなのだが、それでも「タコの唐揚げ」のメニュー促進についてはこれからもっと気合を入れてアピールしていかなくてはならないということが云えよう。

今日的「造反無理」政局の行方[1]

菅直人首相が退陣を表明したというニュースが慌ただしく飛び交っている。あわせて昨日提出された「内閣不信任案」はといえば、圧倒的な反対票にて否決された。

国民の誰もが感じるように、こんな政局的茶番の芝居を見てしまったことを情けなく思う。そして、管直人内閣の今後の行く末に思いは移ってしまう。いったいこの現状は、誰により誰が誰のために引き起こした事態なのか? もう少しして厳密な精査が行われることになるのであろうが、本日はこの不条理に対してのささやかなる分析に止めておくことにする。

今日の混乱を招いたきっかけは自民党連合の「不信任決議案」提出ではあるが、こんなものはただ単に否決すれば御仕舞の代物であるはずではあったが、そこに例の「小沢軍団+鳩山ポッポ連合」が、加入して可笑しな成り行きとなった。だがこんなことは政治的事象の一事例でしかないことは分かり切っている。

今日的政局を一言で表すならば「造反無理」的事象だということである。かつて中国では「文化大革命」のスローガンとして「造反有理」という言葉が幅を利かせていた。「造反に理有り」。すなわち造反することには道理が存在するのだという主張であった。この4文字熟語をスローガンとして、多くの若者、若輩者、莫迦者、いんちき詐欺師、その他諸々の人間たちを煽っていた。毛沢東の取り巻きであった江青その他がこのスローガンを主導していた。

そして我が国の今回の政局的成り行きを眺めるならば、まさに「造反無理」と呼ばざるを得ないのである。「造反には理が無い」。すなわち「小沢軍団+鳩山ポッポ連合」が図った造反劇が、ただただナンセンスな結末を示しているにすぎないのだということ。小沢一派の終末はいと哀れに候。それだけは確かなことである。

シンプルな鮎の塩焼きに舌鼓

鮎の塩焼きがメニューに出ていたので早速注文してみた。

写真で見てもらえば分かるように、大衆居酒屋ならではの、素朴に塩をまぶしてガスバーナーで焼くだけのものだったが、充分に旬の味覚を味わうことができた。

この季節は日本の河川にて鮎漁の解禁日が目白押しとなる。九州、四国など南国温暖の地区が早いようだが、細かく見てくるとそうとばかりは云えない。河川の周辺住民の意向や地域的文化事情、歴史事情等が絡んでいるようだ

残念なのは、福島県内の河川全域において、放射線被害のため解禁日未定という措置がとられていることだ。改めて東京電力をはじめとする関係企業、団体等々の甚大なる犯罪的行為の責任を指摘せざるを得ないのだ。農業、畜産、漁業は云うまでも無く、福島県内の生活基盤はガタガタであり、壊滅的でもある。

東電が今後、賠償能力不能により倒産、解散においこまれその責任を放棄する事態になろうとも、その尻を拭くのは日本国民であることを忘れる訳にはいかない。くだらない東電擁護はげんに慎むべきである。

おいらの出身県の群馬県でも鮎漁は盛んであり、これから鮎の本場を迎える。海無し県の川魚として鮎はとても愛されてきた魚なのでありました。